浅田真央を取材してきた記者たちが見た「浅田真央」の姿とは…
本当の浅田真央の姿
2017年4月10日に引退会見を行った浅田真央に対し、長く交流があった記者たちが本当の「浅田真央」について、語りました。
とても心に響くものがあります。
いつも必死だった…
渡辺克樹 東海テレビプロダクションディレクター
「14年間取材してきました。初めて会った時は中学1年生。今もピュアな部分があって、ひとことでいうと可愛らしい人。そして天然。面白い人です。
競技になるとまるで別人。
中学生のころ、僕がリンクのスタッフと談笑していたら、『ちゃんと練習見ないなら帰って』と言われました。
こんな選手はなかなかいない。
いつも必死だから、こちらも真剣でした。
やると決めたらずっとやる。
整氷車が出てきても、その横でまだ練習していたこともあった。その日の目標が達成できるまで帰らなかった。
スケートと亡きお母さんと本人が一体化しているように見えます。
お母さんのことを忘れないために、スケートをやっているようなところがありました。自分の中にいる『ママ』と対話しながら競技を続けてきたように思います。
いつもけなげ。
なんとか期待に応えないといけないという思いが強い。
『自分のために滑ったらいいんじゃないの』と話したこともありますが、『たくさんの応援に応えたいから』と。
これも『みんなに応援されなくちゃだめなのよ』と言っていたお母さんの影響が強いのだと思います。
過去は振り返らない人です。
『こんなことも言っていたんですよ』と僕が説明すると『へぇ』となる。そんなことよりも次の試合をどうするか。そう考える人です。この考え方はお母さんも一緒でした」
実況中に涙が出たのは初めてでした
鳥海貴樹 NHKアナウンサー
「ソチのフリーの実況中継をしました。
トリプルアクセルを含め6種類の3回転ジャンプ8つに挑戦したのです。
『すべてをやりきったと言ってほしい4分間』、演技前にそう実況しました。
最後のジャンプで『すべて跳んだ』と実況した後は胸にこみ上げるものがあり、コメントができなくなりました。
少しの間の後、『これが浅田……真央です』。
自分で声が震えているのがわかりました。隣にいた八木沼純子さんの目が赤かったのも覚えています。スポーツ実況中に涙が出たのは初めてでした。
この先100年は現れないスケーターなのでは。
あんなにうまくて強くて美しくて、人々の心をつかめて。
アスリートとしての生き方を見せてくれた。
自分自身のアナウンサー人生も豊かにしてくれた真央さん、ありがとう」
※参考:『週刊朝日』2017年4月28日号(詳細は『週間朝日』をご一読ください)
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