甲本ヒロトから忌野清志郎への弔辞が泣ける「僕もそのひとり」
甲本ヒロトから忌野清志郎への伝説の弔辞
2009年5月2日、忌野清志郎が亡くなりました。
その一週間後の5月9日に催された告別式『ロック葬』で、甲本ヒロトが読み上げた弔辞が話題になりました。
その弔辞は、あれから7年経った今も「心に響く」と話題になるほどのもの。中でも、最後の言葉は強烈です。今回はその全文をお届けします。
甲本ヒロトの忌野清志郎への弔辞を久々に読み返したらもう切なくて切なくて涙ボロボロ零れ落ちて、雨上がりの夜空にを何度も何度も聞いた
何も考えられない— Summer Queen (@tbh_hiroto) 2016年9月20日
昨日YouTubeでザ・クロマニヨンズの雷雨決行を聴こうと探してたら最終的に忌野清志郎氏への甲本ヒロト氏の弔辞に辿り着き号泣してしまってた
— ふむふむ (@emptyblue7) 2016年9月15日
忌野清志郎
忌野 清志郎(いまわの きよしろう、1951年4月2日 – 2009年5月2日)は日本のロックミュージシャン。
RCサクセションなどのバンドを率い、ソウル・ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。KING OF ROCKの異称を取った。
甲本ヒロトの弔辞(YouTube)
音声のみです。まずはこちらからがオススメです。
甲本ヒロトの弔辞(全文)
清志郎。えー、清志郎、あなたとの思い出に、ろくなものはございません。
突然呼び出して、知らない歌を歌わせたり、なんだか吹きにくいキーのハーモニカを吹かせてみたり。レコーディングの作業中には、トンチンカンなアドバイスばっかり連発するもんで、レコーディングが滞り、そのたびにわれわれは、聞こえないふりをするのが必死でした。
でも、今思えば、ぜんぶ冗談だったんだよな。
今日も「キヨシロー、どんな格好してた?」って知り合いに聞いたら、「ステージ衣装のままで寝転がってたよ」って言うもんだから、「そうか、じゃあ俺も革ジャン着ていくか」と思って着たら、なんか浮いてるし。
清志郎の真似をすれば浮くのは当然で。でもあなたは、ステージの上はすごく似合ってたよ。ステージの上の人だったんだな。
一番最近会ったのは、去年の11月。
The Whoの来日公演で、武道館の。そのとき、あなたは客席の人でした。
ステージの上の清志郎じゃなくて、客席の人でした。たくさんの人が清志郎に憧れるように、あなたはロックンロールに憧れていました。僕もそうです。
そんな、いち観客どうしの共感を感じ、とても身近に感じた直後、あなたはポケットから何かを出されて。それは、業界のコネをフルに活かした戦利品、とでも言いましょうか、ピート・タウンゼントの使用するギターのピックでした。
ちっともあなたは、観客席のひとりじゃなかった。僕があまりにもうらやましそうにしているので、2枚あった、そのうちのひとつを、僕にくれました。
(ポケットの中を探る)
こっちじゃねえや……これだ。ピート・タウンゼントが使ってたピックです。これはもう返さなくていいね。納めます。ありがとう。
一生忘れないよ。短いかもしれないけど、一生忘れない。
ほんで、ありがとうを言いに来たんです。数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。はは……。今日もそうだよ、ひどいよ、この冗談は……。
うん。なるべく笑うよ。そんでね、ありがとうを言いに来ました。
清志郎、ありがとう。それから後ろ向きになっちゃってるけど、清志郎を支えてくれたスタッフのみなさん、それから家族のみなさん、親族のみなさん、友人のみなさん、最高のロックンロールを支えてくれたみなさん、どうもありがとう。どうもありがとう。
で、あとひとつ残るのは、今日もたくさん外で待っている、あなたのファンです。彼らにありがとうは、僕は言いません。
僕もそのひとりだからです。
それはあなたが言ってください。どうもありがとう! ありがとう!
忌野清志郎/RCサクセション
『トランジスタ・ラジオ』
代表曲『トランジスタ・ラジオ』。
「一瞬で心だけ高校時代に戻ってしまう」などのコメントが寄せられている。