ヴィーコ:モチベーションの上がる言葉7選

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ジャンバッティスタ・ヴィーコはイタリアの哲学者

ヴィーコは「数学的知識以外の知識はあり得ない」というデカルト派の認識論に反対し、学問に必要なのは認識可能なものと不可能なものを区別する原理であると考えた。

その原理とは「真理と事実とは置換できる」、つまり、精神がある対象を理解するためには、その対象が人間精神によってすでに作られていなければならない、ということだった。

計7の言葉。はじめから一つひとつチェックしてもいいし、目次の気になるカテゴリーからチェックしてもいいと思います。ブックマーク必須の内容です。

ジャンバッティスタ・ヴィーコ

ジャンバッティスタ・ヴィーコ(Giambattista Vico, 1668年6月23日-1744年1月23日)は、イタリアの哲学者。wikipedia

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ヴィーコ:モチベーションの上がる言葉「他人/人間」編

「そのすべてがあたかも一つの泉から湧き出るようにして欲望から生じてくる人間の内なる悪である心の動揺は、ただ二つのことのみがそれらを善用する方向へと指し向けてゆくことができる。すなわち、一つは哲学であって、このほうは知恵ある者たちにおいて彼らの心の動揺を適度に抑えることによって、そこから徳が出てくるようにおもんばかるのであり、またいま一つは雄弁であって、このほうは民衆のうちに彼らの心の動揺をむしろ燃え上がらせることによって彼らを徳の義務を果たすようしむけてゆくのである」
ジャンバッティスタ・ヴィーコ
オススメ度★★★★★

一般的真理からまっすぐにもろもろの個別的真理に降りてゆこうとする、学識はあるが賢慮を欠いている者たちは、実生活の曲がりくねった道を何が何でもまっすぐに突き進んでゆこうとして、道そのものを打ち壊してしまう」
ジャンバッティスタ・ヴィーコ
オススメ度★★★★★

人間は大部分が愚か者であって、熟慮したうえで行為するようなことはなく、ただ欲望のおもむくままに、あるいはまた運にまかせて行動しているのである。また、彼らはものごとを、それらはそうあってしかるべきであったのだと判断するが、ものごとはたいがい無鉄砲に行われているものなのである」
ジャンバッティスタ・ヴィーコ
オススメ度★★★★★

真理にそれが人々にも真理と見えるよう心を配り正義に誰もがそれを承認するようなかたちで従って欲しいと言っているのである」
ジャンバッティスタ・ヴィーコ
オススメ度★★★★★

「実際、実生活において愚者は最高の真理にも最低の真理にも注意を払わないし、無学ではあるが狡猾な連中は最低の真理は目ざとく見つけるが最高の真理には目を向けない。
そして、学識はあるが賢慮を欠いている者たちは最高の真理から出発して最低の真理を統制しようとするが、これに対して、知恵ある人は最低の真理から出発して最高の真理に向かうのである」
ジャンバッティスタ・ヴィーコ
オススメ度★★★★★

ヴィーコ:モチベーションの上がる言葉「言葉」編

クリティカは真理について述べる弁論の技法であるが、他方トピカは言葉豊かに述べる弁論の技法なのである……どちらの論述の方法も欠点を持つ。トピカ主義者はしばしば虚偽を捕らえてしまうし、クリティカ主義者は真らしいものを取り上げようとはしないからである。したがって、どちらの欠点もが回避されるように、青年たちは全体的な判断によってあらゆる学芸を教えられるべきである、と私は思う。それゆえ、彼らはトピカのトポスを豊富にし、そしてその間に賢慮と雄弁のための共通感覚を増大させ、想像力とか記憶力を鍛えて、これらの知性の能力によって支えられている諸技芸のために準備すべきである。次いでクリティカを学ぶべきである
ジャンバッティスタ・ヴィーコ
オススメ度★★★★★

ヴィーコ:モチベーションの上がる言葉「学習/成長」編

幾何学的方法の力によって真理として引き出された自然学のことがらは単に真らしいだけのことであり、また幾何学から強かに方法は得ているにしても、証明を得ているわけではないのである。われわれが幾何学的ことがらを証明するのは、われわれが(それらを)作っているからである。もしかりに、われわれが自然学的ことがらを証明できるとしたら、われわれは(それらを)作っていることになってしまうであろう」
ジャンバッティスタ・ヴィーコ
オススメ度★★★★★