マリナーズ復帰のイチローの名言12選

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イチローがマリナーズに復帰

米大リーグ、マリナーズに6シーズンぶりにイチローが復帰した。
これは本当に良かったと思う。
今回はその、マリナーズ復帰のイチローが残した言葉(名言)12選をご紹介したい。

イチローのマリナーズでのトレーニング模様

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マリナーズ復帰のイチローの名言12選

2001年にメジャーリーグでプレーすることが決まった時とは全く違う感情

「2012年7月にシアトルにサヨナラを告げてその後、ニューヨーク(ヤンキース)、マイアミ(マーリンズ)、5年半が過ぎたんですけど、その間も僕の家はシアトルにあって、ニューヨークから家に帰る時も必ずシアトルの景色を見ながら家に帰る。マイアミからもそうでした。いずれまた、このユニホームを着てプレーしたい、という気持ちが僕のどこかに常にあったんですけど、それを自分から表現することはできませんでした。それは5年半前のことが常に頭にあったので、戻ってきてくれっていう言葉は僕の周りでたくさん聞いたんですけども、それを僕は聞き流すことしかできなかったんですね。でも、こういう形でまたこのシアトルのユニホームを着てプレーする機会をいただいたこと、2001年にメジャーリーグでプレーすることが決まった時とは全く違う感情が生まれました。とてもハッピーです」

この5年半で耐性が強くなった

「いろいろなことを経験しました、この5年半。また耐性が強くなったと思います。耐性というのは色々なことに耐える能力が明らかに強くなったと感じています。選手としての能力に関しては今はそれが数字で分かる時代なので、みなさんの方がよくご存じだと思いますけど、その点で明らかに5年前とは違うと言えると思います」

最低50歳まで

「みなさん、よく50歳までという話をされることが多いかと思いますけど、僕は最低50歳まで、といつも言っているので。そこは誤解しないでほしいですね」

シアトルのファンに「おかえり」と言ってもらえる自分でありたい

「(昨年4月のシアトルでの最終打席で本塁打)あの時、シアトルでの最後の打席と言われたことは確かにありました。でも僕はいずれ戻ってきてプレーをしたいと、できるんではないか、と、全く根拠がなかったですけど、そう思っていました。今思うことは、こういう形で戻ってきて、シアトルのファンの方々に『おかえり』と心から言ってもらえるような自分でありたいなというふうに、それをできるかどうかは僕次第なので日々、励みたいと思います」

自分が常にそうでありたいという「泰然」とした状態

「いろいろなことを考えました。ただ、周りも心配してくれる声はたくさん聞いたんですけど、僕自身の状態としては『泰然』とした状態であったと思います。それがなぜかは分からないですけど、自分が経験してきて良かったこと、そうでなかったこと、たくさん経験した上でそうなったのか、なぜそうなったのか分からないですけど、ただ、泰然という状態は自分がプレーヤーとしても人間としても常にそうでありたいという状態、目指すべき状態ではあったので、そういう自分に出会えたのはとても嬉しかったです」

自分のためだけでなく、すべてをチームにささげたい

「2001年にメジャーリーグでプレーすることが決まった時に考えたのは、自分のことしか考えられなかったです。まず、結果を残さないとこの世界でやっていけない、これは当然のことですけれども、それから17シーズンを過ぎて18年目になるわけですけども、もちろん自分はできるパフォーマンはたくさんあります、僕自身のためにやりたいこともあります。ただ、当時と違うのは今、マリナーズが必要としていること。そこに力になれるのであればなんでもやりたい。そういう気持ちですね。僕が今まで培ってきたすべてをこのチームにささげたい、そういう覚悟です」

いろんなことに耐えられるようになった

「以前、マリナーズでプレーしていたときは、もう必ず、ラインナップに名前があって。自分のルーティンを守ることはとても簡単というか、難しくなかったですけども、ニューヨークに行ってからというのはその日、球場にいかないと、その日プレーするかどうか分からない。ゲームが始まって、スターティングラインナップに名前がないときに、どこで自分がいくのかっていうのは、まったくわからない状態が続いて、それが慣れてきた頃に、なんとなくこう、こんな状況で自分は行くんだなあ、ということがつかめるようになったりはしたんですけども、見えないものといつも戦っている。そういう状態だったんですね。でも、それにもいつしか、自分が徐々に対応できるようになって、何が起こっても、代打を告げられて…。左ピッチャーが来たときに代打の代打っていうこともありました。それは過去になったことなんですけども、そういう悔しい思いもたくさんしてきた5年半だったので、いろんなことに耐えられるんじゃないかって思っています」

僕も息子側に入れることを見せたい

「(クラブハウスに入ったら)まず、顔と名前を覚えなければいけないんですけど、僕の年齢的には、僕の息子みたいな選手たちがいっぱいいることが怖いですけど、でも、プレーをすれば、僕も息子側に入れることをしっかりと見せたいと思います」

心が折れそうになったことはない

「折れそうになっていると、泰然にはならないですよね。ということは、ないということですね」

オープン戦にはいつでも出られる

「いつでも、大丈夫です」

メジャー以外に迷うことはなかった

「迷うことはなかったですね。メジャーでやるっていう気持ち。これのみでした」

大谷翔平との対戦も実現したい。できれば、ピッチャーで

「まだ、翔平がプレーしているところを実際に見たこともないんですね。まず見てみたい、というのがあって、誰が見ても、世界一の才能といってもいいんだろうと、よく聞きますし。実際、見たことはないんですけど、僕もそう思います。そんな選手と対戦することっていうのは野球の醍醐味の一つだと思いますよね。ですから必ず実現させたいと思いますし、出来れば、僕もピッチャーで対戦したいなあと思います」