歴代最多安打のイチローも人に笑われ、悔しい想いをしてきた…

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イチロー日米4257安打!

マーリンズのイチロー外野手が敵地パドレス戦で日米通算4257安打とし、ピート・ローズの歴代最多安打記録(4256安打)を抜き去った。本当に素晴らしい。

米国の報道には温度差があって、日米通算を認めている報道もあるし、認めていない報道もある。歴代最多安打記録をもっていたピート・ローズ自身や、全国紙の『USAトゥデー』などは認めていない。

でも、これはどちらが正しいと言っても、仕方がないことだと思う。

僕ら自身もどこかでそう感じている

「メジャー(米国)通算」と「日米通算」は確かに違う。

考えてみると、僕ら自身もどこかでメジャーに行った日本人選手を「スゴい」と感じてしまうところがある。全ての日本人がそうだ、とは言えないけど、どこかでそう感じてしまっているだろう。

イチローをはじめ、メジャーに行った田中将大、上原浩治、ダルビッシュ有などに対して、少し見方が違う。

大谷翔平に対してだって、「将来はメジャーだ」と期待してしまう。それは、僕ら自身が心のどこかで「メジャーがスゴい」と感じてしまっているからだろう。

それに様々な条件が違うのは明白だ。

イチロー自身、こう語っている。

「僕としては日米合わせた数字ということで、どうしたってケチが付くことは分かっているし、ここに目標を設定していなかった」
参考:イチロー“ローズ超え”日米4257安打会見

ピート・ローズが認めないのもムリはない、と思う。条件が違うのだし。「器が小さい」という意見もあるけど、彼の尽きない「負けず嫌い」な面が、あれだけの大記録を出したことにもつながったのかもしれない。

イチローが最初からメジャーだったら

そうなると、「イチローが最初からメジャーだったら……」と考えてしまうのだけど、イチローには日本での野球人生が必要だった。

イチローの野球人生にとって大きな転機は、仰木監督との出会い。

そもそも、イチローは入団2年目で「上司の指示に従わない」という理由で干されていた存在だった。

92年夏、新潟の長岡悠久山球場で、当時、近鉄のエースだった野茂英雄のストレートをライトスタンドに本塁打を放ちながら「フォームを変えないかぎり、一軍に置けない」という理由で、翌日から二軍行きになったように、なかなか自分の存在価値を認めてもらえなかった。
参考:プロ野球「師弟の絆」裏物語

でも、仰木監督は違った。イチローに可能性を見出し、キャンプでは、鈴木というどこにでもある名前を変えるようアドバイスした。

イチローと誰にも親しまれる呼び名に変えたほうがいい」
参考:プロ野球「師弟の絆」裏物語

そこから、イチローが生まれた。
そこから、イチローの野球人生は変わったし、仰木監督はイチローにとって理想の上司として、強く尊敬できる存在でもあったわけです。

イチローの今があるのは日本での野球があったからだし、「イチローが最初からメジャーだったら……」と考えてしまうのは違うのかもしれない。

イチローも人に笑われてきた。悔しい想いをしてきた…

日米通算云々ではなく、イチローのことを認めている僕らが祝福してあげればいいことだと思います。

ただ、今回のイチローの言葉で、とても印象に残った言葉がある。それは試合後の会見の次の質問に対する答えです(「常々、50歳まで現役したいということもおっしゃっていますが、あと1000いくつというのをアメリカで、というのは?」という質問)。

「僕は子供の頃から人に笑われてきたことを常に達成してきているという自負はあるので、例えば小学生の頃に毎日野球を練習して、近所の人から『あいつプロ野球選手にでもなるのか』っていつも笑われてた。だけど、悔しい思いもしましたけど、でもプロ野球選手になった。何年かやって、日本で首位打者も獲って、アメリカに行く時も『首位打者になってみたい』。そんな時も笑われた。でも、それも2回達成したりとか、常に人に笑われてきた悔しい歴史が僕の中にはあるので、これからもそれをクリアしていきたいという思いはもちろんあります」
参考:イチロー“ローズ超え”日米4257安打会見

この「常に人に笑われてきた悔しい歴史」という言葉に何とも言えない気持ちになる。

同時に「自分も頑張らない」と、とモチベーションが高まる。今後もイチローを応援していきたい。


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