山本篤:モチベーションの上がる言葉6選

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山本篤は片大腿義足の陸上競技選手

2008年、北京パラリンピック走り幅跳びで銀メダルを獲得した日本の義足陸上競技選手初のパラリンピック・メダリスト。
2013年、2015年、 IPC陸上競技世界選手権大会走り幅跳び金メダルの2連覇。クラス T42の走り幅跳びの世界記録を樹立。

計6の言葉。はじめから一つひとつチェックしてもいいし、目次の気になるカテゴリーからチェックしてもいいと思います。ブックマーク必須の内容です。

山本篤

山本 篤(やまもと あつし、1982年4月19日 – )は、片大腿義足の陸上競技選手wikipedia

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山本篤:モチベーションの上がる言葉「思考」編

「専門学生のとき、初めて競技用の義足を見て、走ることを考えて作られている形がかっこいいなあと思いました。このかっこいい義足で速く走れたら、どんなにかっこいいだろうと考えましたね。バイクや車を購入するとき、自分好みの形のものを選びますよね。それと同じ感覚で競技用義足を手にとりました」
山本篤
オススメ度★★★★★

山本篤:モチベーションの上がる言葉「目標」編

世界新を出せると思ってやってきて実際に出せたのは自信になる」
山本篤
オススメ度★★★★★

「北京パラリンピックが終わって、スズキの会長に報告に行く機会がありました。そのときに『現役時代は、今のまま頑張ればいいけど、その後のことを考えろ』と言われたのが強く印象に残っていて、将来のことを突き詰めて考えました。それで、何をしたいか考えたときに、『指導者になりたい』という答えに行き着きました。自分の経験を生かして、パラリンピックのコーチになれれば理想的。コーチになるのなら、海外に出られる職業がいいし、大学の先生になって、大学では健常の陸上部を見ながら、義足の選手が集まってくる拠点になればいいかなと考えるようになりました。そのために、今のうちから、いつでも博士号を取れるように準備しておこうと思い、大学院に進みたいと思いました。それに、何よりも自分の動作分析をすることでもっともっと記録が伸びると考えていました。大学院での研究は、すべて競技につながってくる。周りも理解してくれて、大学で練習をしながら、運動力学の権威、伊藤章教授のもとで大学院生としての研究をすることにしました」
山本篤
オススメ度★★★★★

自分で限界を決めず、最後まであきらめず、『走れるようになりたい』『日本記録を出したい』『パラリンピックに出たい』『メダルをとりたい』と常に前向きに目標を立て、それを少しずつ達成していくことで大きな目標が達成できたと思います」
山本篤
オススメ度★★★★★

山本篤:モチベーションの上がる言葉「可能性」編

「あるとき、市民病院の小さな陸上大会へ誘われて、手持ちの義足で参加しました。そのときに競技用義足を持っていた方がいて、貸してくれるというので、それを使って走ってみたのが最初です。実際に走ってみて、いきなり転んだんですけど、もっと速く走れそうだなという手応えのようなものがありました。冬はケガをする前からやっていたスノーボードがあるし、ちょうど夏にできるスポーツを探していたこともあって、陸上を始めることにしました」
山本篤
オススメ度★★★★★

「自分で自分の限界を決めてしまうとがんばろうという気にもなれず、それ以上伸びるはずがありません。自分の限界を作らなければ可能性が広がるわけです
山本篤
オススメ度★★★★★