奥原希望が金!世界の頂点に。その涙が止まらなくなるほどの目標達成法とは…

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奥原希望が日本勢初のシングルス優勝、金メダル!

2017年8月27日。

バドミントン世界選手権最終日、英グラスゴーで女子シングルス決勝が行われ、奥原希望(のぞみ)が2―1でリオデジャネイロ五輪銀メダリストのシンドゥ・プサルラ(インド)を下し、金メダルを獲得。

男女を通じて日本勢初のシングルス優勝となった。

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今回はその奥原希望さんの「涙が止まらなくなるほどの目標達成法」をお届けしていきます。

奥原希望の目標達成法

希望さんの家は父、圭永さんが高校の物理教師。母、秀子さんが小学校の栄養教諭という教育者の家。バドミントンとは何の関係もなかった。

ところが、希望さんが小学校1年生の時。

圭永さん(父)が大町北高校に赴任し、(バドミントンは未経験だったにもかかわらず)偶然にもバドミントン部の顧問になった。

それが全てのスタートだった。

希望さんには4際上に姉、3歳上に兄がいたのだが、希望さん含め3人ともバドミントンを始めることになった。

ライバルは姉と兄

当時、彼女のライバルは姉と兄だった。

母、秀子さんは当時のことをこう語る。

姉や兄にも絶対勝ちたいと思っていたようです。ピアノや勉強ではそんな負けん気は見せなかったのに、バドミントンだけは別でしたね」

そして、小学校2年生になったある日、圭永さんが彼女にこう聞いた。

「大会に出るか?」

これに対し、「出たい!」と答え、全国小学生ABC大会(小2以下)にエントリー。その後、本格的な練習を始め、全国大会で結晶トーナメントまで勝ち進んだ。

「初めて出た全国大会で、勝てたうれしさ、負けた悔しさを味わえたことが、希望がバドミントンにのめりこんでいくきっかけになったようです
秀子さん(母)

中学卒業後は、埼玉県にあるバドミントンの名門、大宮東高校へ進学し、先生宅に下宿することになった(秀子さんは家を出ることだけは、最後まで反対らしい)。

そして、その下宿先を引き払う時、秀子さんは涙が止まらなくなるほどの状況を目にする。

下宿先の彼女の部屋には「今年の目標」という紙が貼られていた。

母、秀子さんはその時のことをこう語る。

「主人の意向で毎年、正月には子供たちにその年の目標を書かせ、壁に貼るんです。希望は、それを下宿先でもやっていたんですね。『世界ジュニア優勝』『全日本で決勝に』などと書かれていました。くじけそうなこともあったと思うんです。でも一人でジッと我慢して、この紙を見つめていたんでしょう

奥原希望は自らが掲げたその目標のとおり……。

高1で全日本ジュニア選手権優勝。

高2の全日本総合選手権も優勝し、

16歳8カ月で史上最年少の全日本女王に上り詰めた。

だが、大変な時期もあった。2013年に左膝の半月板。2014年には右膝の半月板を痛め、手術を受け、どん底も経験。

しかも身長156センチは世界ランカーと並ぶと小柄。

それにもかかわらず、リオ五輪では銅メダルを獲得。そして今回、ついに第23回世界選手権で世界の頂点に立ったのだ。

「くじけそうなこともあったと思うんです。でも一人でジッと我慢して、この紙を見つめていたんでしょう」

母、秀子さんのこの言葉どおり、きっといくつもの苦難を乗り越え、実現したのだろう。

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参考:末っ子の負けず嫌いバネに バドミントン奥原リオ代表への道

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